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★眼は心の意ですから、眼の清濁を見て心が清いか、邪念があるかが判断できます。
眼の切れ長くして慈光に潤っているのは仏の眼であります。瞳の色が黒しく黒曜石のようにハッキリしているのは知恵がハッキリしていていることをあらわしています。
細い目で、奥に潜んでいるような眼は、性質が陰気であって、奥深い考えをする人であります。ギョロンとした眼で、あるていは驚いたように見え、あるいは怒ったように見えるのは、短命の相であります。
横をしばしば「盗み見」する人は、心が落ち着かず、人に隠れて何事かをしようとする心があります。赤い血の筋が貫いて走っている人は、凶悪の精神を持っているか、自らが兇悪者に倒される運勢が潜んでいます。
眼がつねに色っぽく潤んだような見える人は、多情であります。眼の周囲にピンクの気色(きしょく)の表れている人は、色情の問題が起ころうとする兆しがありますから、そんな気色が表れてきた時には、特に色情を慎み、なるべく異性に近づく機会を避けるようにすることが、色難を避ける方法です。 周囲の事情でどうしても結婚できない人は、できるだけ近づかないように最初からするのが良く、深い関係になればなるほど、ふたりの運勢は、泥沼に陥ってしまいます。
誰でも両眼は同じ形にはならず多少異なる形をしているものですが、あまりに左の目と右の目との形または大小が異なる人は、その人の心が乱れています。 そういう人は、左右いずれとも定まらないか、あるいは右にあるいは左に、ふらふらする人であるか、または太陽(左眼)と太陰(右眼)との調和が欠けて、夫婦の不調和、または先祖(父母)の不調和をあらわしていますので、血統の中に何か不快なものがあることを示しています。
眼は正面を向いたとき、正しく瞳孔および虹彩が中央部にあるのが良いですが、斜視または潜伏斜視はその人の心が真正面を向いていないことを表しています。 ものを素直に見ないで斜めから見る、正しいものでも歪めて見る心がありますから、そのような心を捨てると、生まれつきの斜視であっても治ることがあります。
眼がじっと落ち着かないで、キョロキョロ周囲を見回す人は、心に落ち着きがなく、ソワソワした心があり、一定の自分の見解がなくて軽挙妄動するか付和雷同する人であります。
眼は黒瞳がまっすぐに正中(せいちゅう)を向いているのが、平安、中正、和解を表しています。 黒瞳がやや上を向いている人は、天を仰ぐ心を表している場合は、心が高遠なので天的な事物を追求する心であります。 よく仏像の目を見ますと、少し上目附きになっているのでそれであります。坐禅でもして、心が透明状態になってきますと、黒瞳がやや上方に向かうのであります。
眼が正面を向いているのに黒瞳が下を向いているのは「地視(ちし)」すると言いまして、地的(物欲的)なものに心が奪われていることを表しています。 ------------------------------ 【目の人相のまとめは】⇒こちら ------------------------------
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