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耳も、実際に物に触れることなく、やはり離れたものを感じる器官であります。 美しいオーケストラの音楽を演奏会で聴いたり、秋には美しい虫の音色を聞いたりして感動できるのも、耳で心地よく感じる機能があるからです。 ただし、耳は遠くで音のするものを聞き取ることはできますが、眼ほどに遠方に離れているものを感じることはできません。 人間は自分から遠くにある存在に対して「尊い」という感情を持ちます。 ですから、対象に対して尊さを感じるためには、遠くはなれた感覚を持たなければなりませんが、その機能を果たすのが、眼であり耳であります。 眼は耳よりも遠くの存在を感じることができますので、それだけ眼のほうが高尚ということで、耳よりも眼のほうが顔の中でも上に位置しているのです。 これを「天地人」の考え方から考察しますと、やはり耳も高尚な働きがあるため、眼と同様に「天」の位置にいますが、 眼よりも下の位置になります。
人を尊んで言う場合には、「あなた(彼方)」とか「向こう様」などと言うでしょう。 自分のことを「こちら(此方)」とか「手前」とか言うのは、離れない感じ、すなわち距離感のないことを表しているのです。 尊いという意味を表すには、自分と離れている言葉を使うのです。 仏教で極楽を十万億土の彼方にあると言ったり、キリスト教では「天にまします吾らの父」と言ったりして、、距離の感覚を表す言葉を使っています。 ですが、キリストも「神の国は汝の内にあり」と言って、「神の国」すなわち天国が実際は遠いところにあるのではなくて、それは「今此処」にあるのですけれど、高く尊いという距離感を表すために十万億土の彼方とか、天国という言葉を使っているのです。
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