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眼の瞳(ひとみ)が澄み切って清らかな人は、その心も清らかで明晰です。罪を思わぬ幼児の眼が美しいのは、幼児の心の清らかなことを表しているのです。 眼がドロンと濁っているのは、心が乱れているか、感情が濁っているかし、また、酒を飲んで酔った人の眼はすべて濁っているのです。 だから、そんな眼をしたときには女に対してふしだらなことをしたり、真心を売るようなことをやりかねないのです。だから酒を飲みながら政治をするなどという風習が止まない限り、よい政治ができるものではありません。
瞳というのは瞳の孔、すなわち「瞳孔(どうこう)」です。眼の球の中央部にある光の入る孔であり、明るいところへ行くと小さくなり、暗い所へ行くと大きく広がる孔です。 その周囲の黒目の部分が「睛(せい)」といい、見た目には茶目や青色の人もいますが、生理学的には「虹彩(こうさい)」というところです。白目というのは、生理学的には、「鞏膜(きょうまく)といわれています。 この瞳と睛とをいっしょにして、ふつうは「ひとみ」と言っていますが、ここは、神経の輻輳(ふくそう)したところであり、ここが黒目であろうと、茶目にあろうと、あるいは碧眼であっても、清らかに澄み切っている人は心が清浄で、悪意のない、ごまかしのない人なのです。 そこに何となく暗い影や濁った影のある人は、心に暗い影や、濁った汚点ができているのであり、かなり警戒する必要があります。 ★ 睛の周囲に灰色の白い暈(くまどり)ができるのは老衰のしるしです。 ★ 鞏膜(白眼)に木の枝のような血の筋が表れているのは、神経を非常に労して疲れているか、夜眠れないときか、何か非常に思い悩むところがあるのです。 ★ 白眼に斑点が表れているのは、何か暗いことを考えているのです。 |
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